原文解説 ── タックスアンサー No.2260・No.5759 ほか
個人事業主の法人化は「いくらから」か(売上ではなく利益で考える)
── 分岐点は「年収」の欄ではなく、「利益」の欄にある。
- 「法人化っていくらからお得なの?」
- 「売上1,000万円を超えたら会社にしろって聞いた」
- 「個人事業主のままだと損してる?」
この問いで検索すると、上位に出てくるのはほとんどが法人設立の代行会社か、 設立を手伝いたい税理士事務所の記事です。私は開業したての個人事業主で、法人化はまだ先の話です。 だからこそ売る側の事情を抜きにして、国税庁の税率表(参照日 2026-09-04)から 「どこで損得が入れ替わるのか」だけを整理します。
分岐点は売上ではなく利益(課税所得)で800万〜1,000万円が定番の目安。 税率の差だけなら800万円前後で法人のほうが安くなり始めるが、 社会保険料まで含めると、利益を全額給与で受け取る人は1,200万円前後、会社に残せる人は600万円前後が分かれ目になる。 超えそうな年が見えたら、その前の年に税理士へ試算を頼むのが実務の正解。
「年収いくらで法人化」という問いは、単位がずれている
まず言葉をそろえます。「年収1,000万円で法人化」と言うときの「年収」が、 売上なのか、経費を引いた利益なのか、そこからさらに控除を引いた課税所得なのかで、答えは全く変わります。
- 売上 ── 入金の合計。税率はここには掛からない
- 利益(事業所得) ── 売上から経費を引いた残り
- 課税所得 ── 利益からさらに青色申告特別控除や基礎控除などを引いた、税率を掛ける土台
税率の損得を決めるのは3つ目の課税所得です。自分の利益がどの帯に入るかは節税シミュレータで確認できます。
売上3,000万円でも外注費や仕入れで利益が500万円なら、法人化を急ぐ場面ではありません。
逆に経費の少ない業種なら、売上1,200万円で検討ラインに乗ることもあります。
✗よくある誤解
売上1,000万円を超えたら法人化
それは消費税の課税事業者になる線であって、法人化の損得の線ではない
○実際
利益(課税所得)800万〜1,000万円が検討ライン
税率が入れ替わるのは課税所得の話。売上の大きさだけでは決まらない
仕組み: 個人は所得が増えるほど税率が上がり、法人はほぼ一定
個人の所得税は累進課税で、課税所得が増えるほど「増えた部分に掛かる税率」が階段状に上がります。
| 課税される所得金額 | 所得税率 | 住民税(約10%)と合わせて |
|---|---|---|
| 195万円未満 | 5% | 約15% |
| 195万〜330万円 | 10% | 約20% |
| 330万〜695万円 | 20% | 約30% |
| 695万〜900万円 | 23% | 約33% |
| 900万〜1,800万円 | 33% | 約43% |
| 1,800万〜4,000万円 | 40% | 約50% |
| 4,000万円以上 | 45% | 約55% |
出典: 国税庁 タックスアンサーNo.2260「所得税の税率」(令和7年4月1日現在法令等・参照日 2026-09-04)。
このほかに復興特別所得税(所得税額の2.1%)と、 法定業種なら個人事業税(東京都の第1種事業で5%・年290万円の事業主控除あり)が別枠で掛かります。
一方、法人税は中小法人(資本金1億円以下)なら、 年800万円以下の所得に15%、超える部分に23.2%の二段でほぼ一定です (出典: 国税庁 タックスアンサーNo.5759「法人税の税率」・同参照日)。
法人住民税や事業税などの地方税を含めても、実質の負担率はおおむね2割台前半に収まります。
「そこからさらに1万円増えたら、いくら税金が増えるか」の率を並べると、差がよく見えます。
つまり課税所得900万円を超えたあたりから、個人は「増えた1万円のうち約4,300円が税金」という状態になり、 法人の2割台との差がはっきり開きます。これが「利益800万〜1,000万円が目安」と言われる根拠です。
もうひとつ、法人では控除をもう一段使えます。
法人から自分に役員報酬を払うと、その報酬は給与所得になり、 給与所得控除(最低65万円)が新しく使えます (出典: 国税庁 タックスアンサーNo.1410「給与所得控除」・同参照日)。
法人側では役員報酬が経費になるので、利益を「会社の所得」と「自分の給与」に割って、 両方の低い税率帯に収める調整ができます。この報酬設計の自由度こそが法人化の損得の核心で、 だからこそ分岐点は「いくらに設定するか」で人ごとに動きます。
ただし、目安を押し上げる3つの負担
税率の表だけ見ると800万円で乗り換えたくなりますが、法人には税率以外の負担が付いてきます。
1. 社会保険への加入が強制になる
法人は代表1人でも健康保険・厚生年金への加入が義務です。
保険料率は健康保険が約9.85%(協会けんぽ・東京都・令和8年度)、厚生年金が18.3%で、 労使折半といっても1人会社では会社負担分も自分の財布から出ます。
国民健康保険+国民年金との差は役員報酬の額によりますが、年間で数十万円単位の増加になるケースが多く、 これが実際の分岐点を1,000万円側へ押し上げる一番の要因です (将来受け取る厚生年金が増えるという利点はあります)。
2. 赤字でも消えない維持コスト
- 法人住民税の均等割 ── 利益がゼロでも年7万円(資本金1,000万円以下・従業者50人以下の最低額)
- 税理士費用 ── 法人の決算申告は個人の確定申告より格段に複雑で、自力でやる人はまれです。記帳から頼むと年20万〜40万円が相場
- 設立と登記の費用 ── 合同会社で約10万円、株式会社なら約24万円。定款や登記の変更にもその都度費用が掛かる
個人なら青色申告の65万円控除と会計ソフトだけで完結していた部分に、 毎年の固定費が乗ると考えてください。
3. 消費税の免税は、昔ほどの利点ではない
法人を新しく作ると設立1期目・2期目は基準期間(前々事業年度)がないため、 資本金1,000万円未満なら原則として消費税の納税義務が免除されます (出典: 国税庁 タックスアンサーNo.6501「納税義務の免除」・同参照日)。
かつては「個人で免税の期間を使い切ってから法人成りして、さらに2年」が定番でしたが、 いまはインボイス登録をすると自分から課税事業者になるため、 取引先が課税事業者ばかりの人には、この免税の利点はほぼなくなります。
免税を当てにした法人化は、前提から確認が必要です。
また、登録済みの人が使える2割特例(2027年分からは3割特例)は法人が対象外なので、法人化した年からその軽減も使えなくなります。
利益別の早見表: 法人化で税金と社会保険料はどう変わるか
税率の差だけで比べると、実は法人のほうが常に安く見えます。 役員報酬に適用される給与所得控除が、個人の青色申告特別控除65万円より大きいからです。
それを逆転させるのが社会保険料です。そこでこの表は、税金と社会保険料を合わせた年間の負担額で並べています。
| 利益 | 個人のまま | 法人(全額を役員報酬に) | 法人(半分を報酬、半分を会社に残す) |
|---|---|---|---|
| 400万円 | 97万円(24%) | 123万円(31%) | 107万円(27%) |
| 600万円 | 173万円(29%) | 193万円(32%) | 163万円(27%) |
| 800万円 | 260万円(32%) | 269万円(34%) | 219万円(27%) |
| 1,000万円 | 344万円(34%) | 349万円(35%) | 279万円(28%) |
| 1,200万円 | 427万円(36%) | 423万円(35%) | 342万円(29%) |
| 1,500万円 | 573万円(38%) | 549万円(37%) | 446万円(30%) |
| 2,000万円 | 816万円(41%) | 785万円(39%) | 612万円(31%) |
(かっこ内は利益に対する負担率。1万円未満は四捨五入)
読み方はこうです。
- 利益を全額自分の給与として受け取るなら、法人が個人を下回るのは利益1,200万円前後からです。1,000万円までは、社会保険料の増加が税率の差を打ち消して、ほぼ同じか個人のほうが安くなります
- 利益の半分を会社に残せるなら、600万円あたりから法人のほうが安くなります。ただし会社に残したお金は自分の財布には入っていません。あとで役員報酬を増やすか退職金や配当で受け取るときに、そこで税金がかかります。表の差の全部が手取りの差になるわけではありません
「利益800万〜1,000万円が目安」という定番の数字は、この2つの間にあります。 会社にお金を残す設計ができる人には800万円から意味があり、全部を自分の給与にしたい人には1,200万円まで急ぐ理由がない、というのが表からわかることです。
では、いくらから法人化するのか
早見表と、社会保険や維持費の話をまとめると、判断の目安はこうなります。
| 利益(課税所得)の水準 | 判断の目安 |
|---|---|
| 〜600万円 | 個人のままが有利。法人化の検討より青色申告の要件を固めるほうが先 |
| 600万〜800万円 | まだ急がない。会社にお金を残す設計なら差が出始めるが、税理士費用を引くと残らないことが多い |
| 800万〜1,200万円 | 検討ライン。会社に残せる人は法人が有利、全額を給与で受け取りたい人は個人とほぼ同じ。税理士に両パターンの試算を依頼 |
| 1,200万円超が続く見込み | 全額を給与にしても法人のほうが安くなる。取引や採用の事情も含めて具体的に設計する段階 |
大事なのは、この判断は超えた後ではなく超えそうな年の前にやることです。
法人化には設立、口座、取引先への案内、会計ソフトの切り替えと数か月掛かるので、 「今年の利益が確定してから考える」では1年遅れます。
なお令和8年4月1日以後に始まる事業年度から防衛特別法人税(法人税額から年500万円を引いた残りの4%)が 加わりましたが、法人税額500万円は中小法人の所得でおよそ2,400万円に相当し、 この記事の読者の規模ではまだ出番のない話です。
税率以外の理由で決まる人もいる
損得計算とは別の軸で法人を選ぶ理由も、公平を期して並べておきます。
- 取引先の要件 ── 大企業や官公庁には「法人としか契約しない」運用が残っており、これは税率と関係なく決定打になる
- 有限責任 ── 事業の借入や賠償の責任を出資額までに区切れる(ただし小さい会社の借入は代表者保証を求められがちで、効果は限定的)
- 採用と信用 ── 人を雇う予定があるなら、社会保険のそろった法人のほうが人が集まりやすい
逆に、利益が目安を超えていても「取引先が個人で問題ない」「1人で続ける」なら、 急いで法人にする理由は税率差しか残りません。その税率差が維持費で打ち消される規模なら、個人のままが合理的です。
よくある質問
売上が1,000万円を超えました。法人化すべきですか?
その1,000万円は消費税の課税事業者になるかどうかの線で、法人化の損得の線ではありません。
まず経費を引いた利益がいくらかを確認してください。利益が800万円に届かないなら、 考えるべきは法人化ではなく、消費税の対応(インボイス登録の判断や簡易課税の検討)のほうです。
法人化すると青色申告の65万円控除はどうなりますか?
個人の事業所得がなくなるので使えなくなります。代わりに役員報酬への給与所得控除(最低65万円)が入るため、 控除の枠としては置き換わる形です。なお法人にも青色申告の制度はあり、 欠損金を10年間繰り越せるなど個人(3年)より長い利点があります。
マイクロ法人と個人事業の二刀流はどうですか?
社会保険料を法人側の低い役員報酬で決め、事業の利益は個人側に残す組み方のことですが、 両者の事業に実態のある区分が必要で、形だけの分割は否認の対象になります。
興味があるなら、自己流で試す前に税理士への相談まで一気に進んでください。
解説を読んだだけで組める類のものではありません。
年の途中で法人化したら、その年の確定申告はどうなりますか?
個人と法人で、それぞれ申告します。
個人としては、1月1日から法人化する前日までの事業所得を、翌年の確定申告で申告します。 法人は設立日から事業年度が始まり、決算後2か月以内に法人税の申告をします。
同じ年に個人の確定申告と法人の決算が両方ある年が1回だけ発生するので、会計ソフトの切り替えや税理士との契約はその前に済ませておくと楽です。
法人化して、やっぱり個人に戻ることはできますか?
できますが、法人の解散・清算には登記費用と手間が掛かり、設立よりも面倒です。
「とりあえず作って様子を見る」が一番高くつくのはこのためで、 だからこそ入口の判断は、利益の実績が目安を超えてからでも遅くありません。

